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会話の無い会話

常々、『コミュニケーションの重要性』について考えてはいるが、『コミュニケーションの定義』ってはたして何なんだろうか。

直接の会話や電話やメール*1、様々にある今時の通信事情を全部ひっくるめて『会話』とみなした場合、それをしない事は罪であるかのように感じる事がある。特に、会社の人との飲み会や帰る時などには『何を会話するべきか』などと真剣に考え、不安を覚えることもある。天気?仕事?それとも趣味?場を持たせられないことは自分の未熟さのように感じる強迫観念もある。


いまどき普通に電車の中で見かける光景に、座った途端に週刊誌を広げてマンガを読み始める男性と、携帯で友達とメールのやり取りを始める女性の若いカップルを見かける。また、会話も無く鞄からヘッドホンを取り出して音楽を聴き始めたりするケースもある。

こういう状況は昔から個人的になんとなく許せなかった。その2人が一緒にいる意味がいったい何処にあるのだろう?と考えていた。それぞれが個別に行動しているだけじゃないか?と。


でも『喋らない事』も1つのコミュニケーションなのかも知れないと最近思い始めている。喋らない事で判ることもある。喋らない方が良い時もある。プラスになることも、マイナスになることもある。

これも『会話』の中に含めるべきなのだろうか。

*1:場合によっては『目と目』なんてケースもあるかもしれませんが。