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もののけ姫

もののけ姫 [DVD]
この日、なんとか終電前には帰ろうと無理矢理会社を出て、「ただいま〜」と家の玄関を開けたら既にTVで流れていた。民放で放送していたので、日本中で結構な人が見ていたんじゃないかと単純に推測する。時間的には半分ぐらいは過ぎていたみたいだが(もうちょいか?)、そのまま座って最後まで見てしまった。

さて恥を忍んで正直に言うと、実は私、この映画が「サッパリ判らない」んです。以前に一度見た事があるので、見たのはコレで2回目ですけど、やっぱり理解できなかった。映像もキレイだし、音楽も悪くないし、描写も細かいし、テンポもいいし。

でも、感情移入が出来ないんですよね。
登場人物の "誰一人" にも。


ココから先はネタバレ&長文なので、ご注意を。しかもキビシめ。

最初に断っておきますが、私個人の解釈です。既に「もののけ姫」は理解した!という方には逆に読んで欲しくないと思います。だって、私は「理解していない」んですから。


まず、主人公である「アシタカ」について考える。眼前に迫る数多の敵に臆せず一気に迫り、並み居る敵を一人で事も無げに打ち負かし、飛んでくる矢も刀一つで打ち落とし、素手で掴むこともする。しかも、返す弓の一撃で人間の首を飛ばし、どんなに苦難な状況に立たされても文句の一つも言わず、傷を負っても痛みに顔をゆがめることもない。

ある意味、理想的キャラクターではあるが、能力的にパーフェクト過ぎて、どうにも気味が悪い。同じぐらいパーフェクトなキャラクターといえば「未来少年コナン」が上げられるが、彼の場合は子供であり、幼稚な部分(作戦の詰めの甘さとか)を持っていたので、笑って許せるところがあったのだ。

そう、アシタカは「大人」なのだ。サンに語りかけるセリフも、エボシに問いかけるセリフも、大人過ぎるのだ。祟り神に呪い返し(って言うのかな?)により体を侵食され、いつ自分の身が祟り神へと変わるか判らない状況であっても、毅然とした態度で運命に身をゆだね、自らの想うがままに突き進む。そこには人としての弱さの様なものはなく、まるで全てを悟った仙人の様なのだ。体つきは少年のままなのに、誰にも頼らずに全てを決断することの出来る、研ぎ澄まされた心を持ったアシタカ。どうにも私が共感できない理由の一つはそこにあるのかもしれない。

次に、ヒロインである「サン」について考える。「私は山犬だ!」とか言う割には、普通に人間と会話できるし、性格的な所も野性的という感じがあまり出ていない。むしろ、怒りを感じた時には「ナウシカ」の方がはるかに野性的だったと思う。そういえば「傷ついた王蟲」を押さえ込むシーンと、「傷ついた乙事主様」をなだめるシーンは、なんとなく似ている。ナウシカのシーンはその後、運命的なものを感じさせるのに対し、もののけ姫のシーンはその後で運命と言うより、事態の悪化(モロに最後の力を使わせるなど)を招いているような感じさえ受ける。

そう、サンは「子供」なのだ。少女としては中途半端であり、ただ感情のままに動いて、周りを引っ掻き回しているだけの様な気がする。人間に対する不信感が消えないのは仕方がない。そんな、アシタカ一人の魅力(?)で心変わりするようなら「私は山犬だ!」なんてセリフは出てこない。そんな甘っちょろいストーリーを私も求めていたわけではない。「人間と自然との共存」なんてテーマの前では個人の恋愛感情で変わるようなものではない。人と自然との中間的位置にいる唯一のキャラクター、サン。彼女がアシタカと接触することで、世界が変わるのか?と思わせておきながら、結局のところ何も変わらない。それぞれがそれぞれに"生きる"ことを選んでいる。

最後に、「シシ神」様について考える。ハッキリ言って、出てきた姿を最初に見たときに「なんじゃこいつは?」と思った。生と死を司る神という設定はキライじゃない。でも、あの姿が問題だ。単純な話、「この世のどんな生き物とも違う姿」をしている必要だった、という事は判る。でも、本当に個人的な感想で申し訳ないが、「うわぁ〜怪物だぁ〜!!」と思ってしまった。私には神秘的を通り越して、気味が悪かったのだ。そうなると生理的に受け付けない。シシ神に対する同情も、仕留めた人間達に対しての怒りの感情の様なものは沸いてこなかった。

むしろ、物語が終わった時に感じたのは、「結局、殺された猪たちも、巻き添えを食ったたたら場の人たちも、攻め込んできた侍どもも、何のために戦ってたの?というより、何のために死んだの?」と、考えてしまった。それが、この物語の「むなしさ」であるのかも知れないが、一番悔しいのは暗躍していたたぶん、この物語の一番の悪者である「ジコ坊」がしれっと生き残り、「バカには敵わん」みたいな軽口をたたいて済ませているところだ。シシ神は、コイツぐらい連れてけよ!あーもーっ!納得いかーん!!(繰り返し)


ちなみにこの映画の中で一番好きなキャラクターは?というと、母親である「モロ」だったりする。この映画の中で一番自分の中ではしっくりと来るキャラクターだったからだ。全ての行動とセリフに考えと重みがある。そう感じた。

この作品、何度も見ないと判らないといわれる方も多い。もしかすると私もあと3回ぐらい見たら、何か判るのかもしれない。また偶然TVでやっていたら今日と同じようにぼんやり見るかもしれないけど、とりあえず今は「しばらく見なくてもいいや」って思ってしまうのでした。


・・・。


そうそう、言い忘れた。
アシタカの最初にいた村で、アシタカに無事に帰ってきて欲しいと想いを寄せ、お守りを渡すけなげな少女「カヤ」。その貰ったお守りを一瞬の迷いも見せずにサンに渡し、あまつさえ最後のシーンで「私はたたら場で生きよう」などと、村との決別を思わせる言葉をいうアシタカ。あまりのカヤに対する無常さに、怒りを覚えたことを、追記しておきます。カヤちゃんかわいそう。アシタカが村に帰る気なんてさらさらない事を知らずに、村で待ち続けるのね。 (T-T)マジ泣き