みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

むきむき。

先日、天津甘栗を食べた。
もちろん、皮付きの奴だ。粒は小さかったが久しぶりに食べたし、やっぱりおいしかった。ツメを立てて皮に切込みを入れてパキッっと割って。うまくいったりいかなかったり。食べることに真剣になる点では仕事より集中力を発揮していたかもしれない。

ところが、先日TVで最近のヒット商品として「むき栗」というのが紹介されていた。つまり、甘栗の皮を最初から剥いてあってあとは食べるだけという風に加工されている商品のことだ。かなりのメーカーが同じようなものを出しており、売上が上昇しているヒット商品なんだそうだ。

そりゃ、栗を食べている時間の半分以上は栗をむいている時間といっても過言ではないから、むいてある栗は食べるのに面倒がないしおいしく食べられるだろう。それに、いざむいてから虫食いだったり、中身が痛んでいたりしてガックリとかそう言うのもないだろうし、はっきり言えば「便利」だとおもう。だけど、ことそういうことに関しては「便利」なだけじゃダメだと思ったりする。特に子供のうちはダメだとおもう。

我が家の場合、3人兄妹だったので栗を食べるときは真剣勝負だった。自分がむかなければ誰もむいてくれない。小さかった頃は親がむいてくれたこともあったかもしれないが、基本的には「自分でむく事」で「技術の向上」(おおげさ)を行っていた気がする。

栗に限らない。基本的に全てそうだ。具体的に例をあげればリンゴもナシもモモももも。我が家の子供は自分でむけば「自分のもの」になるというサバイバルな環境で育った。そのおかげか今では果物をむくのはどちらかといえば苦ではない。

今考えると、1回で3個以上の果物が消費されるというペースは経済的にすさまじいものがあるわけで(育ち盛りだから勝手に冷蔵庫から出して食ってたしなぁ)よく、うちの親ってやりくりしてたなぁ、と感心したりもする。だけど、本質的にはただ単にうちの親って怠け者で自分でむくのが面倒なだけだったんじゃないかという気がしなくもないが、この事に関しては実はちょっとは感謝していたりする。