みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

見せないことは。

ある意味、先ほどの話の続き。結論は関係ないけど。
『シュレーディンガーの猫』という一種の哲学的な思考実験がある。詳しいことは省くけれども、今回の話の結論に関する部分を先に言うと、『観測していない情報は全ての可能性がある』という事である。スカートの中の観測していない見せないパンツの色の話*1ではない。いや、もちろん、言うまでも無くそれも重要な話ではあるんだけど。
情報というのは、公開することに意義がある。特にビジネスの上では。なので、非公開にする場合でも公開を前提に非公開期間を設けるということも普通に行われている。逆に、一定期間公開後に廃棄とかもあるけど。
だが、それはあくまでも公の話であって、ビジネスのスタイル、仕事のやり方という意味では全てを公開することが大事なのではない。ましてやプライベートの場合はそうとは限らない。
秘密があるから回るものもある。

人間には誰しも秘密があったりする。むしろ、秘密があるから個々の人間には近寄りがたい何かや、それを知りたい何かという心理的な要素が働き、距離を置いたり惹かれあったりする。もちろん場合によっては秘密の共有によって結束が生まれる場合なんかもある。
典型的な例としては「隠し事のない夫婦やカップルが理想」という話もあるが、本当に隠し事が無いと興味が薄れてくるという問題も無くもないので、そこらへんはそれぞれの納得の範囲で付き合っていくしかない。そして、その隠し事がない事は、別の人たちに対しても常にオープンであるかというと、もちろんそんなことはない。
ゆえに。人間は比較的普通に「秘密」というものを作り出し、生活している。それはとても普通のこと。
さて、「秘密」とは、言葉を言い換えれば「意図的に情報を公開しない事」になる。
公開されていない情報は、確定していない、観測していない情報ということになる。そう、これが「シュレーディンガーの猫」の話に通じることで、「秘密にしていることは全ての可能性があること」でもある。
これはビジネスの上で、とても難しい問題になることがある。相手が知っていること前提で話をすると、実は相手がそのことを知らなくって困ったりすることがある。かといって、いちいち確認するのも失礼だし。逆に、自分が知らない事を話されているときに、「あ〜、今はそれを聞くタイミングじゃないな〜」と、あえてそのことを言わないで話の流れを聞いて済ませることもある。
駆け引きという言葉はあまり好きではないが、見せないことは一つの駆け引きであり、テクニックだ。
ポーカーのゲームで相手のカードを無理やり確認することはイカサマになるが、見せないことは決して非難されるべきものではない。むしろ、見せないことで成立するゲームだ。
ビジネスにおいてもプライベートにおいても。コミュニケーションを行う上では、「見せないこと」も時として必要なことだ。「見ないふり」もまた、時として必要なこともある。確定していない情報のまま進めることが大事な時もある。*2

*1:シュレディンガーのぱんつ』という歌があるという、知らない人にはわからないネタかも知れない。観測しなくていいんだよ!むしろ、しない方が(ry

*2:コミュニケーションの話であって、ビジネスにおける会計とか決済とかそういう話じゃないので、つっこみ禁止。