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火垂るの墓

火垂るの墓 完全保存版 [DVD]
映画の日記を書くと決めたとき。いつかこのネタを書かなくちゃいけないよな〜と漠然と考えていた。いや、もしかすると今までジブリのネタを書かないで来たのは、この映画にイヤでも触れなくてはならないから・・・だったのかも知れない。

そう。そのぐらい書くのを躊躇う映画。どういう風に書いたら良いのか判らない映画。

何が難しいって、もう何回も見ているにもかかわらず、この映画を好きと言う事が出来ず、見終わるたびにもう二度と見ない!って思うにもかかわらず、この映画を嫌いと言う事が出来ないからだ。もう、ワケが判らない。

私はこの映画を映画館で見た訳ではないので、当時の状況はいまいち把握できないが、この映画が「となりのトトロ」と同時上映だったというのが未だに信じられない。ポケモンの本編とピカチュウの夏休みの同時上映とかじゃないんですよ?テーマのギャップが激しすぎる。トトロを見た後でこの映画を見るのか、この映画を見た後でトトロを見るのかで人生が大きく変わってしまいそうなぐらい違うと思う。


以前、会社でこの映画の話をした時、「見たことないです」という後輩がいた。しかも、その場に結構な数で。驚くと共に、ある意味で複雑な感情になった。「見ろ!」と言いたい自分と、「見ない方がいい」という自分が気持ちとして混在しているのだ。

ギッコンバッタンとシーソーの様にガタガタと揺れ動いた上で、最後に止まる結論から言えば「見た方がいい」になる。でも、やっぱり「今すぐに見ろ!」という気にもなれない。だから、

  「いつか。機会があったら見た方がいいよ。」

と、その時は後輩にそう言うだけに留まった。そんな映画。



・・・。がんばって整理してみる。



この映画は戦争の映画だが、実際の所戦争そのものは直接関係ないんじゃないかと思う。

空襲で母親が死んだりしたが、現代社会に置き換えても事故や事件に巻き込まれて母親が突然いなくなってしまうという事もありえる。そして、そうなれば親戚や施設に預けられることもあるだろう。自分の理想の未来と現実とのギャップに翻弄される。そう、この映画は2つの世界軸が時に不条理に交差したまま重なることなく進み続ける物語なんだと思う。社会と言う世界と、家族という世界と。

主人公の男の子は社会に対する不満と妹、家族に対する愛情(というか理想の家族像)をバネに生きる事を決め、あらゆることを行おうとする。妹の為なら社会では悪といわれる行為(窃盗の類)にも手を染める。それは、彼にとっての正義。彼は悪い事をしているのではなく、必要なことをしているのだ。自分と妹、二人だけの家族にとって。


だが、「何でもやる」といっても、自分に出来ないことがある。特に食料に関しては、もともと食べれるものが少ない事情もある中で、栄養学の知識もないので、妹が(結局は自分もだったのだろうが)栄養失調で倒れてしまう。自分がどんなに理想を追い求めていたとしても、家族と言う小さな、ホントウに小さな世界だけでは成り立たない。人は、もっと大きな他の人たちとの社会に身をおき、適応しながら生きていかなければならないもので、社会と言う世界と家族という世界は時に不条理に交差しながら流れていくものだ。

だが、それに彼は気付けなかった。いや、気付こうとしなかったのかも知れない。


彼と妹の物語の結末は不幸なものだった。だが、途中はどうだったのかと言うと、それは不幸とは言えないのかも知れない。映画の中で描かれている2人だけの世界では、一瞬一瞬に明らかに輝いていた時があったからだ。その瞬間は明らかに幸せだったんだと思う。


永遠に続く幸せはない。


だから、それこそが蛍の命の様な、長く続かない果敢ないものだと語っているのかもしれないけれども。