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リテラシー。

どちらかといえば余り好きではない言葉に『リテラシー』がある。

リテラシ

リテラシー(英: literacy)は、「言語により読み書きできる能力」を指す言葉で、元来「識字」と日本語訳されてきた言葉である。近年、情報化社会の進展からコンピュータの利用技術を持つか否かによって個人の可能性が大きく左右することから暗に「情報リテラシー」を示すことが多い。また、原義にはないものの「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」一般をリテラシーと称する場合もある。(例:「会計リテラシー」など) それぞれの言葉の概論に関しては関連項目を参照されたい。

ちょっと前に『情報格差』とか『デジタルデバイド』なんて言葉が流行ったが、その流れでこの言葉も流行っているような気がする。でも、いまいち、好きになれない。リテラシーの内容は上記の通り、そのジャンルによって様々な形として定義されている。
その中でも、良く使われるのが『情報リテラシー』と『メディア・リテラシー』。

情報リテラシー

情報リテラシー(じょうほう - 、information literacy)とは、情報 (information)と識字 (literacy) を合わせた言葉で、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことである。「情報活用能力」や「情報活用力」、「情報を使いこなす力」とも表現する。"情報=IT"との連想やインターネットの利用時において情報リテラシーが要求される等の理由から、しばしばコンピューターリテラシーと混同される。しかし、以下に定義されるように、本来必ずしもコンピュータと直結するものではない。

メディア・リテラシー

メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。

なんで好きじゃないのか?というと、そもそも『情報伝達の本質って受け手側の問題というより、伝える側の問題』と思っているから。
っていうか、情報って『個人が読み解く能力』ではなくて、『個人が伝える能力』の方が大事だと思う。1人だけが理解できる情報にあまり意味は無い。より多くの人に伝えられる情報に価値は高い、と。
言葉は偏るが、より気持ちをストレートに表現すると、
『そもそも個人の感覚や認識、理解力なんて人それぞれ違うし、勝手に誤解無く真意を読み解く能力を求めるのは、伝える側のエゴだと思う』
である。伝える側は、受け手が常に誤解することを前提として考えておかなくてはならないとも思っている。誤解しない訳が無い。
無論、『読み取った結果として誤解が発生し、それによって受け手側が暴走する』というのは論外の話。これは、受け手側の問題。それに、受け手側が誤解することを前提で、伝える側が詐欺めいた誘導を行うことも問題だが、それは伝える側のモラルの問題。*1 この部分を混同させてひとつの言葉で説明される。
リテラシーが足りない』
ちょっと違うと思う。伝える側の努力も必要だと思う。個人の日記や個人のサイトはともかくとして。*2 *3 *4
いや、そもそも冒頭に書いてある通り、『ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力』が『リテラシー』だとして、その分野の事象を『リテラシーが足りない』と、全ての人に求めるのは、無理があると感じている。
なので、この言葉はあまり好きになれない。今の使われ方と言う意味では。

*1:実際、詐欺の被害や風評被害などに合わないために、『受け手側の意識として情報リテラシーを高める必要がある』という点は合意するが、伝える側が『騙される方が悪い』的にそれを求めてはいけないと思う。誠意があるなら。

*2:タイトルの付け方:過去記事⇒id:kenbot3:20061108:1162950961

*3:ゴカイトル。:過去記事⇒id:kenbot3:20100603:1275520820

*4:特に『メディア・リテラシー』の場合、情報を発信する側のメディアが、受け手側に能力を求めると言うのもどうなの?という気がする。無論、発信する側の情報を『どう受け止めるか』の能力、受け手側の意識という意味では、『メディア・リテラシー』という言葉がおかしいという意味ではないけど。