みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

"あり"と"なし"。

食べ物の話をしていると、基本的に『うまい』という言葉に終始するのが常だが、最近ふと『そもそも味覚なんてものは、それぞれ個人の好みで決まるんだから、うまいかうまくないかは本来語るべきものなんじゃないのかも知れない』とか考えることがある。
もう少し、具体的に言うとするならば、『料理は食材の組み合わせだ』と定義付けて、
『その組み合わせがうまいかどうかではなく、ありかなしかではないか』
と。

この場合の『あり』と『なし』は、当然語る人の個人的なチョイスとしての選択肢だけであり、『味覚』などという曖昧なものではないという意味で。
例えば、『メロンに生ハム』が美味しいかどうかを議論しても仕方がなく、『私は"なし"』と主観的な形で答えるべきものだろうという話。
例えば『豆腐の味噌汁ってうまいよね』とか『いや、味噌汁には油揚げの方がうまいだろう』とかいう議論をしても、『それ、豆腐も油揚げも元は同じだし、そもそも食材まで遡れば味噌も同じく大豆だから、合わない方がおかしくない?という、味付けなんかどうでもいい議論になる。
同じ様な例として、『マヨネーズ議論』がある。ご飯にマヨネーズと少しの醤油をたらすとうまい!みたいなマヨラーな人たちがいるワケで、派閥みたいに『うまいから食ってみろ!』とか『きもちわりぃ〜』とか意見交換をしても仕方がない。
なぜならば、マヨネーズを食材に分解すると『卵の黄身と食用油と酢と塩コショウ』である。これにご飯を醤油を追加しているワケだが、厚焼き玉子が乗っている『握り卵』を考えてみると、卵焼きは『卵と食用油と塩コショウ』であり、寿司ネタのご飯は『ご飯と酢とみりんと砂糖』である。醤油をつけて食べる。子供が大好きだったりする。
違いはといえば、若干の砂糖が入っているかどうかとか、卵の白身があるかないかとか、実は微妙な差異でしかない。味付けというものはそもそも微妙なものなのだから、その違いは重要だ!と言われれば、そうかもしれないが、それを言うならばどんな料理でも微妙な味付けの際で『おいしい』とか『おいしくない』は変わってしまうワケで、結局は『好みの問題』でしかない。
『カレーに味噌汁』が美味しいかどうかとか、『焼きそばに牛乳』が美味しいかどうかはもうどうでも良くて、組み合わせとして自分が『あり』か『なし』かで良いんじゃないだろうか。
味付けなんて、みんな好みが違うんだから。それぞれ人によっては"あり"だし、"なし"にもなるんだよ。各個人の価値観でいいじゃん、と。
そんな、お話。