みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

ゲーム進化論。

このG/Wに姪っ子がゲームで遊んでいるのを見ていて、面白いなぁ〜と思ったことが一つあった。誤解が無い様に言っておくが、面白かったのは『姪っ子が』ではなく『ゲームが』である。いや、姪っ子と遊んだことはもちろん面白かったのだが。
で。あえて何のゲームかは書かないが、それは
『キャラクターに職業(お店、仕事)をさせて、お客様のご機嫌を取って報酬(ポイント)を得る』
という感じのゲームだった。職業は花屋さんやアクセサリー屋さん、おふろ屋さんやケーキ屋さんなど何種類もあり、溜まったポイントや、お客様によってその後の展開が変わったり、新しいゲームが登場したりするという今どきよくあるミニゲームタイプだ。別に珍しくない。
でも、それをプレイする姪っ子を見て『面白いなぁ〜』と思ったのだ。
では、姪っ子が何をしていたのかというと、それは、

『難しかったり、気に入らないキャラクターがお店にきたりしたら、メニューから自分の部屋に戻る』

という事だ。これを気軽に繰り返していたのだ。そう、いわゆる『リセット』だ。
お客さんの目の前で仕事を放棄して部屋に戻るという無責任っぷり!好きな仕事しか選ばない傲慢っぷり!よく、マスコミやゲームを研究する識者が気にする『リセット問題』か!・・・という展開も出来ることは出来るだろうが、今回の論点はそこではない。今回は、

『ゲーム進化論』

について、だ。

今、改めて考えると、私が子供の頃のゲームはむしろリセットは気軽に出来るものではなかった。何十分、時には数時間もかけてセーブするポイントを探し回ったり、展開上セーブ出来ないこともあった*1し、その努力の途中で不慮の事故(具体的には親がキレて電源を切る)によりそれまでのプレイ時間そのものが無駄になることも少なくなかった。

そう、リセットをする/されるという行為そのものにリスクと緊張感があったのだ。*2

その為、失敗した場合には、ゲームをしない間に攻略本も無い当時として手元にある少ない情報を元にいろいろな作戦を練り、失敗した場所までをより効率的な方法でチャレンジするという行為を繰り返した。そういう遊び方をしなければならなかった。

だが、それは「リスク」であり、ゲームとしては「改善」されるベキものだったのだ。
それから数十年。世の中のゲームは進化を続け、改善を続けてきた。

携帯ゲーム機は、わざわざセーブしなくても、スイッチを切ったり液晶を閉じれば自動的に「一時中断」になり、ゲームの再開は手軽になった。比較的緩い範囲でセーブが自動で行われ、後戻りをしなくてはいけないという事は殆どない。また、据え置き型のゲーム機も、セーブは比較的頻繁に出来る様になっていたり、セーブデータを複数個残せるようになっていたり、チャプターごとにコンティニューが出来るなど、何十分も彷徨ったり、大幅にやり直すということは少ない。
ゲームは進化したのだ。
より、手軽に遊べる方向に。それを求められるままに。
リセットをしてもリスクが無い形が、ゲームに求められる形として提供されてきたのだ。

いつでもメニュー画面に戻ったりする行為、リセットはズルでも悪いことでもなんでもなく、正当な形として提供されている機能だ。

遊び方として、改善の結果として、ゲームの進化がそういう経過をたどっているという事実を、私は面白いと思った。

*1:自分的に今でも名作として挙げる作品に『エリュシオン(ELYSION)』がある。このゲームは、マジメにやればキャラクターを作ってから最初にセーブするまでに1〜2時間はかかるというとても珍しい作品だった。正確に言えば、そのプレイ時間自体がゲームのオープニングという位置付けだったので、セーブが出来なかったのだ。ちなみに、再販中 ⇒ http://game.goo.ne.jp/retro/title/RGMEGGESYS0009/index.html

*2:当時からオートセーブ機能を持つゲームも存在しており、有名なものでは『ウィザードリー(WIZARDRY)』がある。これは、戦闘の度に保存される為、パーティーが全滅すると、所持品もキャラクターも失われた。リセットやディスクのイジェクト(取り出し)で救う裏技もあったが、失敗すればゲームのディスクごと飛ぶリスクがあった。