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携帯電話と腕時計

焼肉の日。ジュージュー。
いや、そうじゃなくてもともとは「体育の日」だった今日この日ですが、気がつくと昨日が体育の日で今日は普通の日になってしまった。ま、それもまた善しって感じですか。

昔、電気屋さんでアルバイトをしていたときにテレビとビデオが一体になった製品を買いにきたお客さんに対し「もし、故障したときにTVとビデオが別々じゃないと、同時に修理に出すことになりますよ」などと、的外れなアドバイスをして別々に売ったことがある。

別に悪気があったわけじゃなくて本当にそう思っていたわけで、それに関してはいまでもそうだと思っている。でも、今でもTVとビデオの一体型は存在するし、他の合体製品も数多く存在する。

最近、街中や駅のホームで腕時計代わりに携帯電話を見る人は増えた。携帯電話と腕時計が知らず知らずのうちに合体したとも考えられる。実際、腕時計そのものをしていない人も見かけることが増えた。昔は、腕時計をしていないことで「時間にルーズな人」と思われたものだ。
(私の場合はまぁ、そうだと言えるんだけど。ポリポリ)

子供の頃、腕時計が電話機になるというのはよくお話の中で出てきてたし、そうなるだろうと信じて疑わなかった。実際そういう製品も試作実験段階などで存在はするし、つい先日もNTTDoCoMo が腕時計型携帯電話を「CEATEC JAPAN 2000」で参考出展した。骨伝導を利用して人間の指が受話器になるという一風変わった腕時計型携帯電話だ。

でも、実は「腕時計で時間を見る」というより「腕時計以外のなにかしらで時間を知る」という感覚の方がこれから普通になっていくんじゃ?という感じもちょっとする。時間の確認を腕でするというのは腕時計があったからそれが普通になっているだけで、腕になくても別に問題はないと思う。身近なところで確認する手段があれば。

そういえば、もしメガネのレンズ部分に時間を表示する機能がつけば結構便利かもしれない。表示でなくてもボタンを押したら耳元で時間を教えてくれるというのもいいかもしれない。っていうか、なんでもいいんだと思う。

先日、会社の人の腕時計を見たら針はあっても時計盤が存在しなかった。その人は「時間はよくわからないんですけどね。なんとなくしか」と笑っていた。はっきり言えばアクセサリーとしか捉えていないと言う事なのだろう。腕には時計という感覚は既に終わっているのかも。極端に言えば。

# それはそれとして腕に精密機器(なんでも可)を付けている状態って言うのはやっぱり憧れるわけで(笑)