みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

誰が為のキャッチボール。

以前、似たような事を思った *1んだけど、もう一度書く。
昔から「会話はキャッチボールだ」と良く言われる。その考えは間違ってはいないと思うけど、それにはひとつの条件があると思う。その条件は

  • 同じキャッチボール(会話)のレベルの場合

である。その場合にのみ、ボールを1つ投げては返してもらうというキャッチボールを楽しむことが出来る。

所が、そんな状況になるという事はそうそうない。いや、むしろ

  • キャッチボール(会話)のレベルの異なる場合

の方がはるかに多いハズだ。レベルと言っても上手い下手だけではない。早いか遅いか、ストレートが好きか、カーブかフォークかスライダーか。そして、それを受けられるかどうかも人によって違う。投げられるボールと受けられるボールが違う以上、会話をする相互が同じレベルであるという事は殆どない。


また、キャッチボールはボールを投げる側より、受け取る側の方が大変だ。公園で子供が遊んでいるのを見ると判りやすいが、うまい子供と下手な子供が組むと、殆どの場合は「下手な子供が球を拾いに走り回っている構図」になる。下手な子の心理的な負担は増大する一方で、これは会話も一緒だと思う。

会話のテクニックは、ボールを拾えない人がいることを理解した上で、その相手が困らないようにしてあげることだと思う。


コミュニケーションのテクニックはいろんな本や講座がたくさん開かれているけど、結局の所は自分の為じゃなくて「相手の事」に考える事が大事なんだと思うから、自分のテクニックが足りてるとか足りてないとかそういう事はあんまり深く考えても仕方がないんじゃないか?

なんて事を、最近考えている。そんな事を考えながらボンヤリと休日を過ごしてたりする。

*1:会話は球拾い:過去記事⇒id:kenbot3:20060815:1155603313