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ウォーターボーイズ

ウォーターボーイズ スタンダード・エディション [DVD]
ここ何年か、日本の映画がちょっと好きだ。

今までは日本の映画はなんだかちょっとどこか照れくさかった。私が大人になったのか、それとも日本の映画の質が変わったのかは判らない。でも、最近の日本映画を見終わった時の感覚は欧米の映画とはどこか違うサッパリとした爽快感が味わえることが多くなってきたと思う。

「男のシンクロ」

今更この映画のストーリーを紹介するのはさすがに気が引ける。だが、この映画をこの一言で説明するのはちょっと乱暴過ぎる気がする。それだけ強引な展開ながらもキチンと作りこまれた映画だと感じられたからだ。


廃部寸前の男子校の水泳部。新任の若き女性教師が顧問となり一気に盛り上がる男子生徒たち。だが、彼女が教えたかったのは競泳ではなくシンクロだった。女性教師に振り回されるかの様に文化祭での上演をすることが決まってしまった生徒たちだったが、その先生も諸事情により休職。指導者を失った彼らは進むべき道も判らずに右往左往する。過ぎ行く時間に流されていく彼らだったが、様々な出来事が彼らをシンクロの上演に向けて導いていくのであった。


正直この映画は楽しみにしていた。もちろん、人気があったからという事もある。でもそんな事よりもこのストーリーに興味があったのだ。

映画という限られた時間と作られた世界の中では、偶然というよりも必然とも言うべき様々な出来事が起こる。それは「ありえねぇ〜」と表現されることがあるが、この「出来事」の扱い方は日本映画と欧米の映画を比べて、ちょっと違うな〜と感じる。

欧米の映画の場合は「思いもしない出来事が偶然起こり、それに主人公が的確に対応することで新たな道が開ける」というまるでRPGの様な展開を見せる。そして、その出来事に対するちゃんとしたフォローのような物はない。

具体的な例を挙げるならば、ビルの爆発や火災が起きても、それが事故として扱われるようなことはない。ふぅ、助かった!というハラハラ・ドキドキシーンの演出に使われるだけである。

ところが日本の映画の場合は「偶然起こった出来事に流されるかの様に、新たな道が切り開かれている」という感じなのだ。まるで他力本願的にも感じる展開だが、それを逆に捕らえると「運命」とも言える。そして、面白いのがその出来事に対する判りやすいフォローの仕方なのだ。

具体的な例は今回の映画で語って見る。かなり【ネタバレ】になるが、それがフォローの面白さだと思っている。(マジネタバレなので要注意)

新任女性教師の水着シーン
男子校の生徒たる者、うら若き女性教師が水着で登場するシーンはもう視線的に釘付けになる。ところが、シンクロをしていたと言う先生はどこかポッチャリ?という体型である。思わず「おかしいな〜」と思う訳だが、実は身籠っていたと。で、産休。唖然、呆然。サービスカット終了。
鯉を捕まえるシーン
業者との賭けで、全部捕まえればプールを貸してくれるという。水を抜いて捕まえようとする。見ていて「それじゃ魚死んじゃうって!」と思う訳だが、予想通り魚全滅。損害をシンクロでの収入で返すことを決断させられる。
TVのニュース
練習するプールがなく海で特訓していると、溺れているかのように見えた事で通報され、それがニュースに投稿されてしまう。問い合わせが殺到することで後には退けなくなり、学校の許可も出る。
学校での火災
文化祭の準備中、火災が発生してプールの水を消火に全て使われてしまう。翌朝までの注水が間に合わず危ぶまれた上演だったが、隣の女子高からの申し出があり上演決定。まさかの大人気ぶりでクライマックスへ!

もうね。ありえない訳ですよ。でも、その1つ1つは思わず笑いながらも納得してしまう強引なフォローに日本映画の良さを感じるのです。欧米の映画だとこういう展開には当然なりえない。


何となく流されている人を見ていると、イライラしたり「ハッキリしろよ!」と言いたくなる事もある。もちろん自分で目標や信念を持って事を成し遂げることも大事だと思う。でも、自分で決断したからといってどうにも出来ないことというのはある。それが世の中だもの。

だからどんな形であれ情熱さえ失わなければ、ちゃんと結果はついて来るんだ!というこういう映画は「元気が出る映画」としてやっぱりいい映画なんだな〜と思う。


TVドラマ版は見ていない。今年の夏にはスペシャル版(完結編)も放送されるそうだ。そっちはあまり興味がない訳なんだが、なんにしても久しぶりに元気が出る映画を見た気がする。この夏はプールにでも通おうかな?(笑)