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みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

ガチャとガチャガチャ。

まぁ、どうでもいい話。よく判んない話でもある。
ちょっと前にもストラップに絡んで『ガチャガチャ』というか『ガチャポン』の話を書いたんだけど、それとは直接関係無くて、昨今話題のソーシャルゲーの『ガチャ』の話。
言葉がいろいろ錯誤しそうなので、一旦自分で話をする上で整理する。あくまでも、この話の中だけの定義で一般的なものではないです。

ガチャガチャ
私が子供の時代のカプセルに入った玩具が出てくる自動販売機。現在は『ガチャポン』と呼ばれるもの。当時の値段は20円が主流で、主に消しゴムとかが入っていた。
ガチャポン
今の時代のカプセルに入った玩具が出てくる自動販売機。値段は200円ぐらいが主流。ストラップなどはもちろん、ポスターやより大きな玩具の引換券なんかが入っていることもある。
ガチャ
ケータイのゲーム、ソーシャルゲームなどで利用されている仮想自動販売機。値段は無料が主流だが、一日に1回などの利用制限がある。前金のコインを購入し、それを利用することで何度でも利用できる。ゲーム内のアイテムやカードなどを購入できる。
ガチャピン
色味はともかくシルエットと潜在能力ならカプセル怪獣としてもやっていけると思う万能恐竜児。中の人などいない!

こんな感じとして。
ちょっとぼんやり考えていることを書いてみる。

事の発端は

そもそも、この考えをするようになった事の発端は、

『ガチャ』って利用者側に不利だよね?

という疑問から始まっている。

『何それ、商品の価値的なものとかそういう話?カードなんてタダなのに金取るのかよ!みたいな?』

違います。そもそも、物の価値なんてものは、人それぞれだと思っているので、別にそこにお金を払う人がいること自体には特に興味は無いんです。別にいいと思うし。

なにがどう不公平か?というと、子供の頃は『ガチャガチャを自分で選べた』というのをなんとなく思い出したからである。

自分で選ぶガチャガチャ

先ほどの定義で『自動販売機』と書いた。
なんとなく、自動販売機というとジュースなどの電気で動くものを想像しがちだが、『自動』の定義を『無人』と同義とするならば『無人販売機』となり、たぶんイメージがシックリくるんじゃないか?と思う。
で、子供の頃のなけなしのお小遣いである数十円を握り締め、自分では広いと勘違いしているテリトリーを自転車で走り回り、あらゆるガチャガチャを見て回っていた。
『欲しいものが入っているかを見極める為』
に。
ガチャガチャ、ガチャポンは、私の当時からデザイン自体はほとんど変わっていなくて、カプセルが入っている部分は基本的に透明で、中が見れるようになっている。これは、今でも変わっていない。
なので、『しっかり見れば、自分が欲しいものが入っているか確認できた』のだ。
ただ、『見えているカプセルが取れるかどうかは運だし、そもそも最初の一回目は位置的に見えないものが出てくる』という問題もあるが。
でも。それでも、自分でそのガチャガチャを回すかどうか、別の所に行くという選択肢が存在した。

ガチャポンは見えにくい構造

当時のガチャガチャは、置いてある場所が駄菓子屋やスーパーの隅っこなどだったので、基本的には小スペース。置いてある数も1台や2台は当たり前で、多くても4台とか8台ぐらいで固まっているこじんまりしたものだった。
その為、横から見たり、裏に回って確認したりも出来た。
だが、今のガチャポンは単価が上がり、市場規模も大きくなってきたのか、まとまって置いてあることも多く、その数は数十台から百台近くまであったりする。また、上下3段だったり、左右密着の連結がされていたりして、横からはもちろん、裏からも覗けない配置になっていることが多い。
正直、見えにくい構造で、自分がガチャポンを回したいと思わない理由の一つがこれだったりする。

ガチャは見えない構造

そして、最も問題なのが仮想自動販売機のガチャ。商品は全く見えない。入っているかどうかは判らず、入っていることを信じて回すしかできない。無論、品切れは無いので、確実に何かは出るんだが、それが自分の目当てのものかは運を信じるしかない。
私が一番感じている違和感、自分がそこに入り込めない部分はたぶんこの「見えない構造」なんだと思う。

ガチャピンは見ちゃいけない構造

中の人などいない!

ガチャと運と

ガチャ自体は、別に『スロットマシン』と同じと言える。ランダムであることを信じて楽しめるのであれば、それ自体は特に問題は無いと思っている。自分の運を楽しむという意味では、ギャンブルと同じだと言える。
ただ、である。その『確率』を信じられるかどうか?がたぶん、自分の感じている違和感だと思う。
正直、自分は。私はその確率を信じられないのだ。
子供の頃にはまったガチャガチャは、そういう意味では『そこにあるもの』であり、お金さえあれば『必ず手に入るもの』であった。物理的に目に見える形で。また、そこに無いと判れば、そこではチャレンジをする理由も無かった。自分にも少なからず選択肢、いや選択権があった。
見えづらいとはいえ、ガチャポンも原理的には同じ。金額が高くて躊躇している面もあるが、それでもあるかないかはハッキリしているし、結構フェアだと思っている。
でも、ガチャは違う。絶対に見えないのだ。
同じような名前が付いているけど、性質は全く違う・・・と、思っている。