みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

子供とカメラと。

結論の出てない話なんだけど。自分では、未だ。
先日、姪っ子達と遊びに行ったときのこと。雑誌か何かの付録だったみたいだけど、姪っ子がフィルム式のカメラを持っていた。
今どき、フィルム式というのも珍しいと感じるが、以前こんなことを思ったことがある。子供にはデジカメの方がいいんじゃないだろうか?と。*1
でも、それを見ていて少し思った。なるほど。そういう教育もあるな、と。

大人の視点で考えたとき。デジカメはやはり便利である。
何枚も、何十枚も取れるし、失敗したらその場で確認して消せるし、オンラインアルバムで共有したりも出来るし、ブログやSNSに投稿できたりもする。便利、だ。
でも、逆に考えると、その瞬間を記録する写真に対するありがたみというか。被写体に対する気持ちというか、感情的なものが失われていく気がする。失われていくは言い過ぎとするなら、薄れていくというか。
昔、写真の枚数が限られていたとき。
どのタイミングで写真を撮るのか結構真剣に考えていた。
結果として、一つの旅行で使い切れなかったりすることもあったりしたけど、それはそれで今風の言葉を使うならば『リソース管理が出来ていた』と言えるかもしれない。
また、電池の心配をする必要はなく、純粋にその瞬間に対する、撮影したい気持ちだけを考えられた。
そして、一瞬しか取れないので、現像して出来た写真の喜びとがっかり感は、今のデジカメでは便利さの影で失ってしまった感情かもしれない。
さらに、被写体に対しても『気軽に撮る』や『適当に撮る』ではなく『構えて撮る』という一種、感謝に似た気持ちがあった気がする。むしろ、デジカメの場合は手軽すぎて『写真を撮った自分』しか見えていなくて、『写っている相手』(人物の場合)に意識が行っていないというか。
たぶん、そういうことを教育として定義付けていくと、無理やりだし、そもそも子供には伝わらない気がする。子供にデジカメを預けることも、値段はともかくとしてきっとそれはそれで意味があると思う。
だから、結論の出ていない話。
どっちでもいいと思う。
きっと。

*1:使い捨てデジカメ。:過去記事⇒id:kenbot3:19990729:p1