みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

『全貌が見えない』。

ニュースの話。いや、ニュースサイトの話というべきか。
それぞれのサイトのポリシーや、ニュース記事の閲覧期限などの様々な制限もあり、その有意性は理解しているので、あまり言うことはできないのだが、最近思うことがある。
『このニュースの全貌が見えない』
と。

ニュースとして流れてくる情報は、基本的にまともなサイトであれば、特に疑う必要はなく『最新ニュース』が流れてくる。
また、流れてくるニュースは『最新部分の抜粋』であり、そこに至るまでの経緯などは省略されていることが多い。記事として書かれていない部分は最新ではないからだし、それを全て表記したりまとめたりしていては、即時性もなくなるし、情報過多に陥りかねない。
その為に、ニュースサイトでは『関連記事』などの項目が用意されているケースもあるが、これが冒頭の話に繋がってくる。閲覧期限が過ぎていて見れなかったりするのだ。
最近では、数年どころか数日で情報が閲覧できなくなる所もある。それは、情報として鮮度を失っているため、発信された情報のミスリードを防ぐ為の措置でもあるが、消された情報がある為に、最新のニュースだけではそのニュース全体の内容、全貌が見えなくなってしまっている。
『結局それ、何のニュースなの?どこがニュースなの?』
が、経緯が判らないとつかめないニュースも少なくない。
そして、印象的や刺激的な部分だけがピックアップされ、見る側がよく判らないままキャッチーなタイトルであおるニュースをよく見かける。
それが悪い訳ではないが、その内容がどういう内容なのかの判断材料が、いろいろな意味合いにおいて失われてきており、人々はより惑わされやすくなっている気がする。
確かに私達に必要なのは新しい情報である。
だが、正しいと判断するためには、その為の比較とする為の情報も必要である。最近はそれが失われているように感じる。