みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

千と千尋の神隠し

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]
昨日の「紅の豚」から一気に時代が進んで「千と千尋の神隠し」まで飛ぶ。2001年の作品。途中の作品はあまり書く気がしないのでとりあえずスルーする。スルーする。
この映画は最初映画館で見た・・・が、途中で退席した。別につまらなかったからと言う訳じゃなくて、同席してた人が体調不良を訴えたため、視聴を断念して退席することにしたからだ。場面は「千尋(千)が湯屋の外側の階段を下りて行くスリリングな所」。
その後、3年ほど見る機会がなく、結果的に見れた時には「あれって結構序盤だったんだなぁ」と思った次第だった。

やっぱり人間、始めて見る時と一度冷静になってから見るのでは感動の受け方が異なってきてしまう。そんなワケで、この映画の評価は微妙な部分がある事は、最初に断っておきたい。

面白かった、面白くなかったの2つで分けて考えると、一応「面白かった」の部類に入る。ただ、いまいち判らない部分がいくつかあり、そこに共感が出来なかったりする。

特に、映画を見た年齢が既に「大人」だったので、主人公の「千尋」の視点だけでなく、そのご両親の視点を意識してしまう部分があり、冒頭のご両親の態度は明らかに好きになれないのだ。いくら大人だからってそんな奴らばっかりじゃねぇ!みたいな。むしろ、千尋のご両親は「ダメな大人だから自業自得だよね」的な。助ける必要はないとは言わないけど。それに、助かっても相変わらずな感じだったし。ダメな大人だよね。


そう。ダメな大人の構図。


これは、他の宮崎駿監督作品の中でも珍しく(?)、とりわけ「ダメな大人がたくさん登場する物語」である。というよりも、お話そのものが「ダメな大人を見る子供のお話」である。『千尋の成長の物語』でもある一方、成長するための比較対象として設定されている、子供の目から見たキレイな世界とダメな大人たちの物語。

湯婆婆もダメな大人な部分を持っているし、銭婆だってそう。とりわけ怖い存在になってはいたが、子供とはいえないカオナシだってある意味でダメな大人と言えよう。便りになる人って事では釜爺がいるが、それでも決して良い大人じゃなくて、やっぱりダメな部分がチラホラある。そして、湯屋で働く他の妖怪達はもちろん、湯屋に来る妖怪のお客さんたちにいたっても、現代社会の一端を揶揄しているんじゃないか?ぐらいの感じでダメな大人を模していると思う。大人として見ててイヤになるぐらい。


そう。この映画はダメな大人の映画だ。


・・・と、思う。


ダメな大人だってダメな所ばかりじゃないんだって所も見せ、ダメにはダメの事情があったりするんだよ?って事をこの映画では表現しようとしているんだと思う。

映画の最後。見た目では一切わからない豚にされちゃった両親を何故、千尋が見分けられたのかは、伏線が明かされることはなかったので、私にはハッキリ判らない。

でも、ダメな大人たちを沢山見て、子供の世界に閉じこもっていた千尋が、そこで閉じこもり続けずにいい所、悪い所を冷静に見れるようになり、一歩大人に向けての階段を踏み出した事が何より大事だったんだと思う。

だから、私はこのシーンを「自信を持って答えられた千尋への湯婆婆からのご褒美」だったんじゃないかと思ってます。終わり。




・・・えっ?!ハクと千尋の関係とかそういうのは言及なしかって?なしです。この部分、実はなくてもストーリーは成り立つと思ってるし。ぶっちゃけ。