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リロ&スティッチ

リロ&スティッチ スペシャル・エディション [DVD]
2001年に登場してから、今なおキャラクターには人気があり、関連グッズも途切れることなく売れているこの映画、「リロ&スティッチ」。実は、今まで一度も見たことがなかったので、することなくソファーでグダグダしていた土曜日にこれを見た。

名作との聞こえも高いが、個人的な感想を先に書くと「まぁ、面白かったけど、2度は見ないかな」だった。

まぁ、見た本人である私の体調によるところが少なからずあったとしても、良くも悪くもそれほど感動しなかったのだ。

ストーリーは簡単で、

良心のカケラもなく、触れるものは全て破壊するだけという世界最凶の生物兵器として開発・誕生したスティッチが、逃亡して運よく地球のハワイに不時着。追われる身となったスティッチだったが、そこで両親のいない姉妹(妹がリロ)に偶然拾われ、家族の温かさに触れ、自分の居場所を探し当てる。

とかそういう感じ。家族のいない姉妹の設定と、友達がいないリロの設定、破壊兵器として生み出されたスティッチの生い立ちなどが、泣かせ処なのかも知れないが、最近はすっかりひねくれてしまった私的には「ふーん」で終わってしまった。

というか、良心のカケラもないという設定から、家族の愛に目覚めるまでが短絡的すぎる気がするのだ。その改心のきっかけとなる伏線に使われているのが「みにくいアヒルの子」だった。偶然部屋の中で見つけたその本の内容をリロに教えてもらい、破壊魔から一転、大人しく変貌する。なんか、その展開の早さ、有名な他の作品に頼ったストーリー展開というのは、捻りがなさ過ぎるというか、根拠に乏しいんじゃないかと思う。


ここ何年か、そういうストーリーの映画やアニメ、小説が少なくない。いや、むしろ多い。作中で紹介される古典童話としては「ピノキオ」だったり「シンデレラ」だったり。もちろん、古典的作品を作中に出すことは悪いことではないと思う。それは、その作品に対するオマージュであり、尊敬と愛の証だし、それらを知っている私達としてもキャラクターをより身近に感じられるからだ。

だが、その有名な古典をストーリーの肝としてしまうことは、果たして良い事なんだろうかと思う。もし仮にそれらを知らない人が見た時に感動できないばかりか、私達が見た新しい作品への感動自体が古い作品で感じた感動の再現でしかないという事に結局はならないだろうか。作品中のキャラクター達に共感することはあっても、その共感はその作品オリジナルとしてのものではないような気がする。


という事を見ながら考えてしまったのでした。

・・・作品の感想じゃない気がする。ま、いいか。