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みた、こと。きいた、こと。

合言葉はSite Seeing

ライブラリ

ふと、私の会社の同期がこう言っていたのを思い出した。
「いくら集めても間に合わないよ!」
と。よくよく話を聞けば、それは「LD」のことだった。毎月のように発売される限定版のLDを彼は買い集めていたのだ。学生の頃からだそうだが、もう何年も集めていてその数は数えられないよ!とうれしそうに話していたことを思い出す。あぁ、もうあれから10年以上も経つのか。

話の流れ的に「見るのも大変ですね」と言ってしまったのだが、それはどうやら愚問だったようだ。「見てないよ。うちデッキ無いから」と返された。さすがに一瞬耳を疑った。でも、それも彼には彼なりの理由があった。

「だって、限定版のLDは今買わなくちゃなくなっちゃうけど、デッキはいつでも買えるじゃん。それに、後から買った方が安くて機能もいいのになるだろう?」

そう、かれは「コレクター」だったのだ。集めるという事に対してとにかく自分の生活の全てを注ぎ込んでも、なんの疑いも感じない。彼が「限定版は保存用と観賞用のセットで買わなくちゃいけないからキツイよ〜」などと聞いてくれと言わんばかりに語っていたのが印象的だった。



そういえば学生の時、友達の家に遊びに行ったら、案内された彼の父親の書斎の壁は、一面「ビデオテープ」が並んでいたことを思い出した。全てキレイにラベルを手書きされており、当時はWOWOWはまだだったが、BS放送は既に始まっていたと思う。そこで放送される映画を全部チェックしてライブラリ化していたのだ。

その友人のお父さんに「凄い量のビデオですね」と話しかけると、「毎日大変なんだよ。どれでも好きな物を選んで見て行っていいよ!」とやっぱりうれしそうに語ってくれた。結局それらをお借りする機会は一度も無かったんだが、もしかすると全部CMなどの編集もし終わっているのかもしれない。


「コレクター」というのは、見るという事よりも集めるという事に喜びを感じているのだろう。でも、それも1つの楽しみ方だと思うし、ある意味で羨ましいと思っている。何より、自分の好きなものに集中できるんだから。私も子供の頃、「ゲームの博物館を作りたい」と考えたことがある。だから実家には昔から集めて売らなかったゲームがわんさか残っている。もう動く機械は無いにもかかわらず。


今、その友人宅のライブラリがどうなっているのかは判らない。でも、きっと今でも壁一面にあるのかもしれないな?と考えると、ちょっとうれしくなったりする。