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キリクと魔女

キリクと魔女 [DVD]
日本のアニメは質が高い。その「質」とは、キャラクターや背景の映像に関するディテールの細かさや、使われる音楽、声優の演技力、そして「大人が見る」ことを前提として作られている重厚なテーマ。いろいろな意味で「質」が語られている。

しかし、本当に日本のアニメは凄いのだろうか。と、思う事がある。私も昔はアニメにハマッていた。小学生の時代はもちろん、中学・高校を卒業してもなお、アニメは好きなジャンルの一つだった。しかし、今は殆ど見ない。むしろ、「どれもこれも同じキャラクターに見えてしまい、見分けが付かない」状態になっている。興味がなくなってきたんだろうか。

そんな中、この「キリクと魔女」という作品を見た。配給はジブリだが、日本のアニメではない。製作はフランス、との事だ。日本のアニメとは全く異なるまるで影絵の様な色調の映像、そしてちょっと硬い感じのする音楽、そして童話のようなストーリー。暫く味わっていなかったような、見終わった後に「なんか、すごいぞ?」と思ってしまった作品だった。

作品の冒頭、キリク誕生の部分があまりにも予想外の唐突な展開だったので、一瞬引いてしまったが、その異常な誕生の仕方ゆえ、気が付いたら全ての不思議な展開を受け入れている自分がある事に気が付いた。そう、たとえば「桃から生まれた桃太郎」だって、本来ありえない誕生の仕方をする。でも受け入れられるのは、それが「童話」だからなんだろう。この作品ももちろん「童話」である。生まれる前からしゃべり、生まれてすぐに歩き出すキリク。でも、それは対した問題ではない。最後に語るべきテーマはそこには無いからだ。


この物語のストーリーはとてもシンプルだ。村人を困らせている魔女がいる。そこにキリクが誕生し、村を救うと言うお話だ。しかし、よく考えると救ったのは村ではない。魔女を救ったことで結果的に村を救う事が出来たのだ。

では、どうしてキリクが魔女を救おうと思ったのか。そう。それがこの映画のキーワードであり、テーマなのだ。「どうして?」が。

キリクの武器はナイフでも火箸でもない。「どうして?」と「問う心」だ。生まれて直ぐに水浴びをしようとするキリク。でも、母親に止められる。「水を大事にしなさい」と。「どうして?」当然思うことであるにも拘らず、今の世の中は理由ではなく結果が先に来る。月は何で満ちたり欠けたりするの?携帯電話はどうして通話が出来るの?クレジットカードってどういう仕組みなの?・・・。知らなくても生きていける。むしろ、調べている時間なんて無い。慌しいまでに早い時間の流れが理由を説いている時間を失わせているのかもしれない。


「どうして?」


「どうして?」が判れば「どうしたらいい」が判る。
そう問いかけられることがある事は、とても大切なことだ。

近年のストーリー重視の映画やアニメでは「どうして」の部分が忘れ去られている事がある。主人公の突然のひらめきで謎が解決したり、事件が急展開を見せたりする。見ているこちらが「どうして?」と思うこともしばしばあるが、そこで考えているとテンポの速いストーリーに置いてきぼりを食うだけだ。

キリクが子供だった理由はわかる。大人が忘れた物を持っているのが子供だからだ。日本のアニメにも忘れ去られていた何かがこのアニメにあったような気がする。